禅とお茶と竹の庭

建武元年(1334年)報国寺開山(仏乗禅師)さまは、現在地に休耕庵を建てて修業なされました。また余暇を得て、詩作を楽しみとしつつ、静かな御生涯を過ごされました。
そのゆかりの御堂跡に、今こんなに美しい竹が生い繁るようになったのです。何卒こころ静かに眺めて下さい。
又この寺の開基は足利家時ですが、上杉重兼も寺の創設にかかわっています。家時から二代後の足利尊氏は室町幕府を樹立し、関東を治めるのに子息基氏を鎌倉公方に据えました。
鎌倉では四代九十年にわたって栄えておりましたが、雄途むなしく永享の乱に於いて戦い利あらず、四代鎌倉公方持氏は瑞泉寺塔頭の永安寺において、嫡子義久は菩堤寺報国寺に於いて自害割腹されました。報国寺は関東に於ける足利公方終焉の地であります。
又この谷戸は往時より宅間法眼一派の芸術家達が住いした谷間です。従って現在も宅間谷戸と呼ばれています。
近年では川端康成、林房雄、各氏等々寺領内に住まわれ、特に川端先生は、この山あいのしじまの音なき音を「山の音」と表現されました。
この古都鎌倉では、一木一草が歴史を語り、時代の情念が身に迫る思いが致します。
まさに、功名手柄をたてんとて、「いざ鎌倉」と馳せ参じて、武運拙く散って行った若き武士たちに思いを致しつつ、粗茶粗菓ですが茶を喫して下さい。

特筆すべきこと


一、本尊釈迦牟尼佛 鎌倉市指定文化財 鎌倉時代作
一、開山仏乗禅師坐像 貞和三年(1347年)運朝作 鎌倉市指定文化財
一、迦葉堂本尊迦葉尊者像 南北朝時代作
一、足利家時(尊氏祖父)外 足利一族の墓
一、北條勢新田勢両軍 戦死者の供養塔
一、裏庭は開山佛乗禅師作と傳う
一、裏山に点在する「やぐら」は、中世、この地だけにのこる史跡として貴重な遺跡である。