報国寺について
報国寺を巡る
GUIDE
竹の庭
Bamboo garden竹は季節や天気、時間帯によってその見え方が変化します。竹の間に差し込む日差しや雨の日に滴る雨水、風で揺らいで軋む音など竹の様々な姿をお楽しみください。
枯山水
Karesansui創建当初の石庭を再現した、山や川の様子を石で表した枯山水です。砂紋は、様々な模様がございますのでお楽しみいただけます。
苔
moss山門から本堂に至るまでの参道や竹の庭の中では、多くの石が苔生しており、特に雨上がりには青々と映えた美しい姿を見ることができます。
本堂
The main building山門から緩やかな坂道を上ってゆくと右手の階段上に見えてくる銅葺きの建物が本堂です。「合掌一礼」にて御本尊様にお参りください。
鐘楼
The bell tower報国寺で最も古い建物で、宝暦7年(1757)に造られました。かつては本堂をはじめ他の建物も茅葺きであり、往年の報国寺の姿が偲ばれます。
やぐら
Scaffoldやぐらは、鎌倉地域に多く存在する横穴式の墳墓です。報国寺のやぐらは、開基・足利家時と4代鎌倉公方足利持氏の嫡子義久の墓と伝わります。
迦葉堂
“Kashodo” Kassapa Building昭和53年(1978)に坐禅堂として造られたお堂です。お釈迦様の十大弟子の一人、迦葉尊者と開山(初代住職)仏乗禅師天岸慧広のお像が安置されております。
報国寺の歴史
HISTORY
報国寺、建武元年(1334)に創建された臨済宗建長寺派の寺院です。開山(初代住職)は仏乗禅師天岸慧広(ぶつじょうぜんじてんがんえこう)、開基は足利家時で、家時を弔うために上杉重兼(しげかね)によって創建されました。
重兼の伯母である清子が家時の嫡子貞氏(さだうじ)に嫁いでおり、足利氏と上杉氏は親戚にあたります。
永享10年(1438)の永享の乱では、4代鎌倉公方足利持氏(もちうじ)の子の義久がこの地で自害しました。報国寺境内のやぐらは、自害した義久と開基・家時の墓と伝わっています。
山の尾根にはさまれた谷あいの事を「谷戸(やと)」といいます。報国寺のある谷戸は、かつて宅間派と呼ばれる芸術家集団が拠点にしたことから宅間谷(たくまがやつ)と呼ばれます。近代には、川端康成や林房雄といった鎌倉文士がこの地に住んでいました。
現代まで連綿と続く報国寺の歴史を感じながらお参りください。
寺宝紹介
TREASURE
釈迦如来坐像
(しゃかにょらいざぞう)木造 鎌倉市指定文化財
本尊・釈迦如来坐像は、南北朝時代の仏師・宅間法眼(たくまほうげん)作と伝わっています。座っている蓮華座(れんげざ)から衣が長く垂れる姿が特徴です。釈迦如来は禅宗寺院でもっとも大切な仏とされています。本像は坐禅(ざぜん)の時の手の形である禅定印(ぜんじょういん)を結んでおり、瞑想(めいそう)している姿を表しています。
迦葉尊者立像
(かしょうそんじゃりゅうぞう)木造
迦葉尊者は釈迦の十代弟子の1人で、頭陀(ずだ)第一と称されました。頭陀とは頭陀行のことを指し、衣食住の欲望を捨てて修行に励むことを指します。
釈迦の後継者と言われることもあり、禅宗では釈迦に次いで第二祖と言われるほど大事にされています。報国寺の迦葉尊者像は衣に華やかな装飾が施され、笑みを浮かべた表情をしています。
聖観音菩薩立像
(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)木造
報国寺本堂の向かって右に安置されている聖観音菩薩立像は、鎌倉三十三観音の十番札所本尊です。観音菩薩は様々な姿に変身し、生きる人々を救いながら如来になるために修行している仏のことを指します。聖観音菩薩は頭が1つと腕が2本の基本の形で表され、本像は左手に蓮華のつぼみを持ち、右手はそっとそのつぼみを開こうとする動作を示しています。通常は非公開ですが、年に3回御開帳を行っています。
普賢菩薩坐像
(ふげんぼさつざぞう)木造
報国寺の普賢菩薩坐像は文化11年(1814)に仏師三橋永助によって造像または修理されました。約16㎝程の小さなお像ですが白い像に乗り、手には如意(にょい)という持物(じもつ)を持っています。
豊かな表情や衣に施された装飾などからは優美な印象が見受けられます。鎌倉十三仏第四番札所本尊として本堂右奥に安置されています。